旦那芸の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 02:21 UTC 版)
何時頃から絵を学び始めたかははっきりとは不明だが、明和7年(1770年)頃に大西酔月の門を叩いたとされる。数年後に酔月が亡くなると、安永2年(1773年)には与謝蕪村の内弟子として入門、俳諧や南画(文人画)を学ぶ。最初は趣味や余技として学び始めたが、安永4年(1775年)の『平安人物誌』の画家の項に早くも名前が載っている。この前後から安永末頃、何らかの事情で金座を辞すと、本格的に俳諧師や絵師として身を立てていく。
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