日本製紙旭川硬式野球部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/02 07:07 UTC 版)
| チーム名(通称) | 日本製紙旭川 |
|---|---|
| 加盟団体 | 日本野球連盟 |
| 加盟区分 | 企業チーム |
| 創部 | 1979年 |
| 廃部 | 2000年 |
| チーム名の遍歴 |
|
| 本拠地自治体 | |
| 練習グラウンド | 日本製紙旭川工場野球場 |
| 都市対抗野球大会 | |
| 出場回数 | なし |
| 最近の出場 | なし |
| 最高成績 | なし |
| 社会人野球日本選手権大会 | |
| 出場回数 | 1回 |
| 最近の出場 | 1992年 |
| 最高成績 | 1回戦敗退 |
| 全日本クラブ野球選手権大会 | |
| 出場回数 | ※出場資格なし |
日本製紙旭川硬式野球部(にほんせいしあさひかわこうしきやきゅうぶ)は、北海道旭川市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属していた社会人野球チームである。
概要
1979年に山陽国策パルプ(1972年に山陽パルプと国策パルプの合併により発足)の旭川事業所で『山陽国策パルプ旭川硬式野球部』として発足[1][2]。
1993年4月1日、本社の合併に伴い日本製紙が発足し、チーム名を『日本製紙旭川硬式野球部』に改称した。本体の合理化の一環として、2000年をもって解散が決まり、石巻硬式野球部に統合されている[2]。
都市対抗の北海道予選では決勝リーグに6回進出したが、北海道5強に阻まれるなど本大会出場はならなかった[3][2]が、1992年には社会人野球日本選手権大会予選で北海道5強の大昭和製紙北海道と王子製紙苫小牧を破り、本大会出場を果たしている[4]。
沿革
- 1979年 - 『山陽国策パルプ旭川』として創部。
- 1992年 - 社会人野球日本選手権大会に初出場[4]。
- 1993年 - 本社の合併にともない、チーム名を『日本製紙旭川』に改称する。
- 2000年 - 解散。日本製紙石巻に統合される。
主要大会の出場歴・最高成績
- 社会人野球日本選手権大会:出場1回
脚注
- ^ 『日本社会人野球協会会報1979』日本社会人野球協会、155頁。
- ^ a b c 毎日新聞、2000年6月28日付朝刊、北海道地方面
- ^ 『財団法人日本野球連盟連盟報2001』財団法人日本野球連盟、237頁。「日本製紙旭川はリーグ戦に4連敗。目標としてきた都市対抗代表は夢の彼方のまま25年余りの活動の歴史を閉じた。」
- ^ a b 『財団法人日本野球連盟連盟報1993』財団法人日本野球連盟、87頁。「初出場は山陽国策パルプと関東自動車工業の2チーム。」
関連項目
- 社会人野球チーム一覧
- 日本製紙石巻硬式野球部
- 大昭和製紙硬式野球部
- ヴィガしらおい(旧:大昭和製紙北海道硬式野球部)
- 日本製紙旭川硬式野球部のページへのリンク