日本使の大都訪問
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:00 UTC 版)
1272年(文永9年・至元9年)、12人の日本使(『元史』日本伝では26人)が1月に高麗を経由し、元の首都・大都を訪問する。元側は日本使の意図を元の軍備の偵察だと判断し、クビライへの謁見は許さなかった。趙良弼から高麗の金州に駐屯する元軍が日本側を警戒させていると報告があったため、元の丞相・アントン(安童)は日本使に対し、その軍は三別抄に備えたものだと説明するようクビライに進言し、クビライはこれを採用している。大都を後にした日本使は、4月に再び高麗を経由して帰国した。
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