日本以外とする説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 15:59 UTC 版)
北畠親房(1293 - 1354)は「東海の中に扶桑の木あり。日の出所なり、と見えたり。東にあれば、よそへていへるか。此国に彼木ありといふ事聞えねば、たしかなる名にはあらざるべし」(『神皇正統記』)といい、日本と扶桑国は本来は別々の国としていた。また1712年の類書『和漢三才図会』も「扶桑」の項で、『三才図会』からの引用(『梁書』の要約)の後、注釈で 疑ハクハ是當ルカ二北東ニ一乎誤チ以爲二日本ト一而扶桑ノ爲ル二日本ノ別號一者不レ當タラ(疑はくはこれ北東に當たるかや、誤ちもつて日本とす。而して、扶桑の日本の別號なるは當たらず) — 『和漢三才図会』巻之十四 外夷人物「扶桑」 と、日本説を否定している。
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