日本のミョウバン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 16:21 UTC 版)
1664年、肥後国出身の浪人、渡辺五郎右衛門が豊後国鶴見村(現在の大分県別府市鶴見)の照湯の湯の花からミョウバンの製造に成功。当時のミョウバンづくりは大掛かりのもので、渡辺のミョウバンづくりは採算に合わず撤退したが、後を追うようにミョウバンづくりに挑んだ脇屋儀助が商業ベースに乗せることに成功。日本に出回っていた清産のミョウバンを江戸幕府との交渉を通じて駆逐し、森藩の特産品とした。もっとも国際競争力はなく、日本産のミョウバンは明治維新以降、急速に姿を消した。
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