日出城の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 08:33 UTC 版)
大神仙介が監督して建武時代に築城された速見郡大神郷の日出城もまた火を放たれて陥落した。常陸介大神鎮正の子の紀伊守統氏が戦死した。豊後国の大神氏はこのことで滅びたと言われている。 日出城 天正十四年 島津義久 来攻。戦敗 城焔。其子 紀伊守統氏 力戦 而死。鎮正弟 鎮氏 代立。 —『豊後国志』 義弘本隊は玖珠郡などの平定も行なっていた。ところが、岡城の志賀親次が巧みなゲリラ戦を行なって義弘本隊を足止めし、やむなく義弘は新納忠元に別動隊を編成させて両郡の平定を行なわせた。結果的に乾城や玖珠城、城ヶ尾城などを陥落させた。
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