日光寺 (愛知県設楽町)とは? わかりやすく解説

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日光寺 (愛知県設楽町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/22 00:27 UTC 版)

日光寺
所在地 愛知県北設楽郡設楽町田峯寺前5
位置 北緯35度03分21.3秒 東経137度31分54.6秒 / 北緯35.055917度 東経137.531833度 / 35.055917; 137.531833座標: 北緯35度03分21.3秒 東経137度31分54.6秒 / 北緯35.055917度 東経137.531833度 / 35.055917; 137.531833
山号 田峯山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼仏
中興 克補契嶽(泉龍院
法人番号 6180305007816
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日光寺(にっこうじ)は、愛知県北設楽郡設楽町田峯にある曹洞宗寺院

概要

山号は田峯山[1]。本尊は釈迦牟尼仏

田峯城を拠点とした田峯菅沼氏菩提寺である。8月のお盆の時期には、田峯地区で死者の供養のための念仏踊りが行われる。日光寺では8月14日の御法楽(ごほうらく)や8月16日の餓鬼送りなどの行事が行われ、田峰観音では8月17日の田峰観音の盆などの行事が行われる[2]

歴史

中世後期の田峯には日光寺と田峰観音(高勝寺)の二つが存在した[3]。日光寺の中興開山は南設楽郡新城泉龍院の克補契嶽である[3]。中興開山は田峯菅沼氏の菅沼定信であり、文明4年(1472年)には田峯菅沼家の菩提寺となった[3]宝飯郡豊川曹洞宗寺院である豊川稲荷(妙厳寺)に属し、近世には宗判寺の扱いを受けていた[3]。田峯村のみならず、折立村・筒井村・桑平新田・栗嶋村を統括しており、黒印除地15石4斗3升3合余があった[3]

江戸時代初期の正保元年(1644年)に日光寺が焼失した際、田峯の村人は天領だった段戸山の木を誤って伐採してしまった[4]。これによって村人らは代官から盗伐の疑いをかけられたが、村人らが田峰観音に歌舞伎を奉納したところ、代官による検分の日には6月なのに降雪して切株が隠され、盗伐の罪を免れたという[4]。これ以後、田峰観音の大祭では奉納歌舞伎が続けられている[4]

明治時代初期の廃仏毀釈の際には田峰観音が廃寺となり、日光寺の境外仏堂である大悲閣高山観音堂として管理された[5]

現地情報

所在地

アクセス

周辺施設

脚注

  1. ^ 日光寺 東三河を歩こう
  2. ^ 念仏踊り(田峯地区・田峰観音の盆) 設楽町観光ナビ
  3. ^ a b c d e 『設楽町誌 村落誌』設楽町、2001年、pp. 400-401
  4. ^ a b c 田峰観音奉納歌舞伎 設楽町観光協会
  5. ^ 『設楽町誌 通史編』設楽町、2005年、pp. 321-322

参考文献

  • 『設楽町誌 通史編』設楽町、2005年
  • 『設楽町誌 村落誌』設楽町、2001年

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