新田基氏とは? わかりやすく解説

新田基氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 23:23 UTC 版)

 
新田基氏
時代 鎌倉時代末期
生誕 建長5年(1253年
死没 元亨4年/6月11日1324年7月2日
改名 沙弥道義
別名 小太郎
墓所 群馬県太田市円福寺
幕府 鎌倉幕府
氏族 河内源氏義国新田氏
父母 新田政氏、赤橋秀時の娘?
兄弟 基氏、細谷国氏、下細谷知信(三郎智信)、
西谷重氏、安養寺快義、安養寺貞氏、
今井惟氏、足利家時
朝氏、満氏(義政)、義量(義円)、今井惟義、朝谷義秋室
テンプレートを表示

新田 基氏(にった もとうじ)は鎌倉時代武将鎌倉幕府御家人新田氏本宗家の6代当主。新田政氏の五男。子に新田朝氏など。新田義貞の祖父にあたる。

経歴

父・政氏の没後、五男でありながら兄たちを差し置いて、19歳で新田氏の当主となった。

基氏の兄たちの早世の記録は不明だが、当主になった経緯により、生母は当時の最高権力者である北条氏の一門赤橋氏一族の赤橋秀時の娘と推測する説がある。

一族の大舘家氏による水田を巡る抗争で、園田庄の当主である園田秀俊(藤姓足利氏一族)と新田一族(母系)の岩松経兼とその子の岩松朝兼・岩松政経兄弟と争う報を受けて大舘家氏の子である宗氏を擁護した。しかし、幕府からは園田・岩松の両氏に優位になるような処置を受けた。

1324年に72歳で没した。「沙弥道義七十二逝去元亨四季甲子六月十一日巳時」(円福寺五輪塔銘の原文)『新田氏根本資料』より。

墓は、群馬県太田市の円福寺にある。

先代
新田政氏
新田氏歴代当主
-
次代
新田朝氏




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「新田基氏」の関連用語

新田基氏のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



新田基氏のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの新田基氏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS