文胎甲とは? わかりやすく解説

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文胎甲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/24 11:20 UTC 版)

文 胎甲(ムン・テガプ、朝鮮語: 문태갑1930年2月25日 - 2024年10月30日)は、大韓民国ジャーナリスト政治家。第9代韓国国会議員[1]

本貫南平文氏朝鮮語版で、文益漸の直系の子孫である[2]独立運動家の文永樸は祖父[3]、元大邱市長文熹甲朝鮮語版は従弟[4]

経歴

日本統治時代の慶尚北道(現・大邱広域市達城郡花園邑本里里の南平文氏世居地に生まれた。1954年、ソウル大学校商科大学経済科卒。1958年から1973年まで東洋通信社経済部記者・政治部記者・政治部長・編集副局長を務めた。その後は維新政友会所属の国会議員申鉉碻国務総理秘書室長(1979年12月14日〜1980年5月25日[5])、ソウル新聞社長兼韓国新聞協会会長、ソウルオリンピック組織委員会執行委員、成長発展阻害要因改善審議委員、韓親善協会理事、汎民族オリンピック推進中央協会推進本部長、韓国青少年連盟総裁、ソウルオリンピック記念国民体育振興公団理事長、大韓体育会顧問、省谷言論文化財団社会理事、オオン文化財団監事を務めた[1][4][6]

1995年に一切の職務を辞めて帰郷し、韓国最大級の門中文庫である仁寿文庫の管理をした[2]。2024年10月30日に死去。享年94[4]

エピソード

5・16軍事クーデター直後に記者として青瓦台に出入りした時、大統領朴正熙に「拘束された言論人を釈放する意思がないか」と質問し、民族日報事件で革命裁判所から死刑判決を受けたジャーナリストの宋志英朝鮮語版無期懲役に減刑され、その後釈放された土台を作った[4]

脚注

  1. ^ a b 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2025年5月24日閲覧。
  2. ^ a b [名士의 귀향별곡] 대구 달성 인흥마을 문태갑 前서울신문 사장”. 서울신문 (2010年3月3日). 2025年5月24日閲覧。
  3. ^ [명복을 빕니다] 문태갑(전 서울신문 사장)씨 별세”. 대구일보 (2024年10月30日). 2025年5月24日閲覧。
  4. ^ a b c d 문태갑 전 한국신문협회장 별세 | 연합뉴스”. 연합뉴스 (2024年10月30日). 2025年5月24日閲覧。
  5. ^ 국무조정실 국무총리비서실 | 기관소개 | 국무총리비서실 | 역대국무총리비서실장” (朝鮮語). www.opm.go.kr. 2025年5月24日閲覧。
  6. ^ 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年5月24日閲覧。



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