数山英一とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 数山英一の意味・解説 

数山英一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/05 06:52 UTC 版)

数山英一

数山 英一(かずやま えいいち、1908年明治41年〉1月18日[1] - 没年不明)は、昭和時代の台湾総督府官僚

経歴

数山定太郎の二男として山口県下関市に生まれる[1]広島高等学校を卒業[2]1930年(昭和5年)4月、東京帝国大学法学部法律科(英法)を卒業し、同年10月[2]高等試験行政科および司法科に合格[1]。同大大学院に進んだのち、1932年(昭和7年)6月に台湾総督府に奉職する[1]文教局学務課勤務を経て、1936年(昭和11年)10月、地方理事官に進み、台北州羅東郡守に就任した[3]

ついで支那に転じ、興亜院調査官廈門連絡部勤務を経て、1942年(昭和17年)11月、大使館三等書記官となった[4]

戦後、丸善化成監査役を務めた[5]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d 台湾新民報社 1937, 56頁.
  2. ^ a b 『日本官僚制総合事典1868-2000』286頁。
  3. ^ 台湾新民報社 1937, 56-57頁.
  4. ^ 帝国秘密探偵社 1943, 支那33頁.
  5. ^ 中国新聞社 1973, 568頁.

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「数山英一」の関連用語

数山英一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



数山英一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの数山英一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS