教育者・水上忠蔵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 05:40 UTC 版)
「渋谷区立幡代小学校」の記事における「教育者・水上忠蔵」の解説
幡代小学校の創設期の教育者が水上忠蔵である。幡代小学校の前身である白水分校の教員で、幡代小学校の開校と同時に教員となり、年齢はすでに50歳を過ぎ、教員資格を持っていなったため「助教」の境遇だった。しかし、生徒の指導と校長を補佐し、幡代小学校にはなくてはならない存在だった。水上忠蔵は1891年(明治24年)1月18日に亡くなったが、1912年(明治45年)幡ヶ谷の清岸寺境内に「水上忠蔵」追慕碑を建立した。
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