拠点制圧、カダフィ大佐の拘束と殺害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 09:41 UTC 版)
「2011年リビア内戦」の記事における「拠点制圧、カダフィ大佐の拘束と殺害」の解説
評議会は9月21日にはカダフィ派の拠点の一つ南部サブハを制圧した。 さらに10月17日にバニワリドを制圧し、カダフィ大佐の居住区だった建物をブルドーザーで取り壊した。10月20日にはカダフィ大佐の出身地でカダフィ派の最後の抵抗拠点でもあったスルトを制圧し、国民評議会はリビア全土を掌握。 スルトの陥落が決定的になる中、逃走中のカダフィ大佐自身もNATOの空爆を避けようとしてスルト市内の排水管に身を潜めたところを反カダフィ派の者たちに発見され、排水管から引き摺り出されて拘束され、その際に受けた攻撃でカダフィ大佐は死亡したと国民評議会が発表。カダフィ大佐が拘束され、死亡したとされる模様を映した映像がアルジャジーラにより世界各国へ配信され、カダフィ大佐の遺体はリビア西部のミスラタに運送された。10月23日、国民評議会はリビア全土の解放を宣言した 「ムアンマル・アル=カッザーフィーの死」も参照
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