戸崎誠喜とは? わかりやすく解説

戸崎誠喜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/07 22:24 UTC 版)

戸崎 誠喜(とざき せいき、1910年明治43年)3月18日[1] - 2006年平成18年)7月3日)は、日本の実業家伊藤忠商事社長・会長を歴任。熊本市新町出身。

経歴

  • 1910年(明治43年) - 末吉の長男として生まれる。
  • 1934年(昭和9年) - 東京商科大学(現、一橋大学)卒、伊藤忠商事へ入社。繊維製品担当として大阪船場で活動[2]
  • 1939年(昭和14年) - オーストラリア駐在。
  • 1941年(昭和16年)8月 - 帰国。
  • 1945年(昭和20年) - ハノイ支店長代理[1]
  • 1947年(昭和22年) - 福岡支店。
  • 1948年(昭和23年)8月 - 東京支店繊維課長[3]
    • 穀物部長代理、東京支店長代理[1]
  • 1952年(昭和27年) -米国ポートランド駐在[1]
  • 1954年(昭和29年) - 伊藤忠アメリカ社長兼ニューヨーク事務所長。
  • 1959年(昭和34年) - 取締役に就任。
  • 1961年(昭和36年) - 代表取締役常務に就任。
  • 1964年(昭和39年) - 帰国、代表取締役専務に就任。
  • 1968年(昭和43年) - 代表取締役副社長に就任。
  • 1974年(昭和49年)6月 - 代表取締役社長に就任[2]
  • 1983年(昭和58年) - 代表取締役会長に就任。
  • 1987年(昭和62年) - 退任。
  • 2006年(平成18年)7月3日 - 老衰のため自宅で死去、享年96[4]。死後、正四位に叙された。
  • その他、いすゞ自動車顧問、日本錦糸布輸出組合理事長、日本貿易会副会長、経済団体連合会常任理事、関税率審議会・国民生活安定審議会各委員などを歴任した。

人物

若手の頃から海外駐在が長く、英語が堪能。海外駐在は通算で16年間に及んだ。1977年には、経営危機に陥っていた安宅産業を合併する。

受章・受賞

脚注

  1. ^ a b c d 『経済界』1988年2月
  2. ^ a b 『財界』1974年12月
  3. ^ 『経済界』1973年12月
  4. ^ “戸崎誠喜氏死去 元伊藤忠商事社長”. 共同通信. (2006年7月4日). http://www.47news.jp/CN/200607/CN2006070401002309.html 2014年11月13日閲覧。 

参考

  • 『日本紳士録』第69版、交詢社、1986年。

関連項目

先代
越後正一
伊藤忠商事社長
1974年 - 1983年
次代
米倉功




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