テムル
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テムル(モンゴル語:ᠲᠡᠮᠦᠷ、Temür、漢字:鉄穆耳、1265年10月15日 - 1307年2月10日)は、モンゴル帝国の第6代カアン(元の成宗としては第2代皇帝)。『集史』などのペルシア語表記では تيمور قاآن Tīmūr Qā'ān。テムルはモンゴル語で「鉄」を意味する名前で、ペルシア語などではこれを訛ってティムールと表記する。
- ^ モンゴル語で「吉祥のカアン」を意味する。
- ^ 吉野2008/吉野2009
- ^ 『元史』巻20, 成宗紀 大徳3年3月癸巳(1299年4月13日)条 「命妙慈弘濟大師、江浙釋教總統補陀寧一山齎詔使日本。詔曰:有司奏陳、向者世祖皇帝嘗遣補陀禪僧如智及王積翁等兩奉璽書通好日本、咸以中途有阻而還。爰自朕臨御以來、綏懷諸國、薄海内外、靡有遐遺、日本之好、宜復通問。今如智已老、補陀僧一山道行素高、可令往諭、附商舶以行、庶可必達。朕特從其請、蓋欲成先帝遺意耳。至於惇好息民之事、王其審圖之」
- ^ 『鎌倉年代記』によれば国書は正安元年10月8日(1299年11月1日)、幕府に伝わった。
- ^ 『元史』宗室世系表によると、「成宗皇帝、一子:皇太子徳寿、早薨、無後」とある。また、『集史』テムル・カアン紀によると、ブルガン皇后との間に تاشى طايشى Tāsh ī ṭāyshī という人物が儲けているがこれが徳寿と同一人物と考えられており、他にも別の后妃から生まれた مقابلين maqābalīn? という息子がいたという。徳寿は大徳9年6月庚辰(1305年6月27日)に皇太子とするために立皇子されたが、同年12月庚寅(1306年1月3日)に薨去した。
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