慈悲山廃寺とは? わかりやすく解説

慈悲山廃寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/08 04:43 UTC 版)

慈悲山廃寺(じひざんはいじ)は、三重県鈴鹿市にかつてあった仏教寺院。 当初は加佐登神社周辺にあったらしく、正法寺または正福寺と称し、藤原秀郷が造営、40体の仏像と40社の神祠を有したと伝えられる。大江広元地頭を務めたという。

観音寺を末寺としていたが、観音寺は慈悲山寺が衰えて高野山の末寺となったことから、観音寺が高野山の一字をとって高神山へ改称した1691年以前には寺運衰退していたと考えられている。

1872年明治5年)には無住で廃寺となる。残存していた釈迦如来坐像など仏像3体は浄安寺に移された。

参考文献





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「慈悲山廃寺」の関連用語

慈悲山廃寺のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



慈悲山廃寺のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの慈悲山廃寺 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS