愛媛県立松山南高等学校砥部分校とは? わかりやすく解説

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愛媛県立松山南高等学校砥部分校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/02 12:52 UTC 版)

愛媛県立松山南高等学校砥部分校
Ehime Prefectural Matsuyama Minami High School Tobe Branch
北緯33度44分20.43秒 東経132度47分45.49秒 / 北緯33.7390083度 東経132.7959694度 / 33.7390083; 132.7959694座標: 北緯33度44分20.43秒 東経132度47分45.49秒 / 北緯33.7390083度 東経132.7959694度 / 33.7390083; 132.7959694
過去の名称 愛媛県立砥部高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者  愛媛県
校訓 自らを律せよ
設立年月日 1948年
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
設置学科 デザイン科
学校コード D138240200016
所在地 791-2141
愛媛県伊予郡砥部町岩谷口7番地
外部リンク ホーム - 愛媛県立松山南高等学校砥部分校デザイン科 (日本語)
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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愛媛県立松山南高等学校砥部分校(えひめけんりつまつやまみなみこうとうがっこうとべぶんこう、英語: Ehime Prefectural Matsuyama Minami High School Tobe Branch[1])は、愛媛県立松山南高等学校伊予郡砥部町にある分校である。

砥部焼の陶工を養成するために工芸科が設けられていたが、1966年にデザイン全般に携わる者を養成するべくデザイン科へと改編する。生徒数は一学年40人と少ないが愛媛県のデザイナー・クリエイターの供給源として数々の業界人を輩出してきた。県下のデザイン業界には同校出身者が多い。女子生徒が多く男女比は毎年1:7前後の比率となることが多い。愛媛県立松山南高等学校とは校長は同じで分校の名を冠している。

沿革

  • 1948年 - 愛媛県立砥部高等学校(定時制の普通科高校)として開校。
  • 1962年 - 愛媛県立松山南高等学校砥部分校となる。家政科、工芸科設置。
  • 1966年 - 工芸科をデザイン科に改変。
  • 1970年 - 家政科廃止。デザイン科のみの単科高等学校となる。

姉妹校

出身者

脚注

注釈

出典

  1. ^ ホーム - 愛媛県立松山南高等学校砥部分校デザイン科”. 愛媛県立松山南高等学校砥部分校. 2019年4月28日閲覧。

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