惟宗基言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/31 04:14 UTC 版)
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時代 | 平安時代後期 |
生誕 | 不明 |
死没 | 天養2年11月3日(1145年12月18日) |
官位 | 従五位下・日向守 |
氏族 | 惟宗朝臣 |
父母 | 父:惟宗孝言 |
子 | 広世、広言 |
惟宗 基言(これむね の もとこと)は、平安時代後期の貴族。伊賀守・惟宗孝言の子。官位は従五位下・日向守。
経歴
白河院政期前期の嘉保元年(1094年)少内記に任ぜられると、権少外記を経て、康和元年(1099年)少外記と文官を歴任する。白河院政期末の大治3年(1128年)日向守として受領に転じた。
官歴
- 嘉保元年(1094年) 日付不詳:少内記見正六位上[1]
- 時期不詳:権少外記
- 康和元年(1099年) 正月23日:少外記、元権少外記[2]
- 大治3年(1128年) 正月24日:日向守[3]
- 天養2年(1145年) 11月3日:卒去[2]
系譜
『惟宗家系』による[2]。
- 父:惟宗孝言
- 母:不詳
- 生母不詳の子女
- 男子:惟宗広世
- 男子:惟宗広言(1132-1189)
脚注
参考文献
- 宮崎康充編『国司補任 第五』続群書類従完成会、1990年
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