志摩供養
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 07:05 UTC 版)
1924年、第1回選抜大会で高松商が優勝を果たした。この時、高松商の三塁を守っていたのが志摩定一選手である。志摩はこの後、胸部疾患を患ったが、夏の予選にはそれを隠して出場し続けた。このため病状は悪化し同年冬に逝去した。この時、「自分が死んでも魂だけは高商の三塁を守り続ける。」という遺言を残したという。
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