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御園生金太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/02 09:11 UTC 版)

御園生金太郎

御園生 金太郎(みそのう きんたろう、1867年慶應3年)1月 - 1922年大正11年)5月3日[1])は、日本教育者

経歴

東京府駒込出身。1889年明治22年)、東京高等師範学校中学師範科を卒業。長崎県師範学校教諭、富山県師範学校教諭・主事、福島県師範学校教諭・主事を歴任し、さらに京都府視学福井県視学を務めた。1900年(明治33年)、職を辞して高等師範学校研究科で学んだ。その後東京府視学・学務課長となり、東京府立園芸学校東京府立農林学校東京府豊島師範学校東京府立第四高等女学校などの新設に尽力した。東京府豊島師範学校が設立されると、教頭となり、1914年(大正3年)に校長に昇格した。

著書

  • 『受験適用 教育学』(成文社、1903年)
  • 『国民教育 戦時講話』(日本書籍、1905年)

脚注

  1. ^ 『官報』第2937号、大正11年5月19日。

参考文献

  • 五十嵐栄吉『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。 
公職
先代
黒田定治
東京府豊島師範学校長
1914年 - 1922年
次代
桜井賢三



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