後期‐泗沘時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/12/31 14:03 UTC 版)
538年 百済聖王、泗沘(現・忠清南道扶余郡)に遷都し、国号を南扶余と号す。 584年 高句麗、百済を攻撃し、新羅が百済を救援する。 554年 百済聖王、新羅の管山城を撃ち敗死。百済威徳王即位。 562年 高句麗、百済の熊川城を攻撃。 600年 百済武王即位 616年 百済、新羅の母山城を攻撃。 638年 百済、新羅の独山城を攻撃。 641年 百済義慈王即位 643年 百済、高句麗と同盟(麗済同盟)。 655年 新羅、百済の刀比川城を攻撃。 657年 百済、王の庶子41人を佐平の官に任命。 660年 唐・新羅連合軍(唐・新羅の同盟)、百済を滅ぼす。 663年 倭国の百済救援軍、白村江で唐軍に大敗。
※この「後期‐泗沘時代」の解説は、「百済史年表」の解説の一部です。
「後期‐泗沘時代」を含む「百済史年表」の記事については、「百済史年表」の概要を参照ください。
- 後期‐泗沘時代のページへのリンク