当初から条坊制を敷いた都城であったとする説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 15:45 UTC 版)
「倭京」の記事における「当初から条坊制を敷いた都城であったとする説」の解説
694年(持統8年)に正式に宮の遷された本格的な都城である藤原京は『日本書紀』では「新益京」(あらましのみやこ)と記されているが、『日本書紀』にはそれに先だって「倭京」の名がみえ、その景観なども記されており、とくに壬申の乱における「倭京攻防戦」の記述などから、岸俊男は藤原京(新益京)に先だった条坊制都城としての「倭京」(新益京からみれば旧都)があった可能性を指摘している。 また、「新益京」とは、それまで飛鳥に形成されていた「京」に新しく加えられた京と理解することができ、『日本書紀』天武紀には「京内二十四寺」とあることから、京域が比較的明確であった可能性があり、ある程度整った故京として把握されていることがうかがえる。
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