張唐の説得と趙への使者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 14:46 UTC 版)
秦は剛成君蔡沢を燕に対する使者とし燕との同盟を画策する。3年後、燕は太子丹を人質として派遣した。 秦は張唐を燕の宰相として派遣しようとしたが、張唐は文信侯呂不韋の説得を拒絶し燕に行こうとしなかった。 しかし、呂不韋に仕えていた甘羅の説得により意を翻し、燕に行く準備をした。 だが、こののち甘羅が趙におもむいて秦趙間の同盟を取り計らい、趙と燕とを戦わせる工作を行ったため趙は秦に5城を割譲し、秦は燕に太子を帰し、趙は燕を攻撃して30城あまりを奪い、秦は趙の割譲した5城に加えて燕の11城を得た。この功績で甘羅は12歳にして上卿となり祖父の甘茂の田宅を賜った。
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