弦楽四重奏曲第4番 (ショスタコーヴィチ)とは? わかりやすく解説

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弦楽四重奏曲第4番 (ショスタコーヴィチ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/05 13:51 UTC 版)

弦楽四重奏曲第4番 ニ長調 作品83 は、ドミートリイ・ショスタコーヴィチ1949年に作曲した弦楽四重奏曲

作曲の経緯

1949年3月、ショスタコーヴィチはニューヨークで開催された世界平和文化科学会議にソビエト連邦の派遣団の一員として参加したが、会議の合間にジュリアード弦楽四重奏団の演奏会に出かけている(演目はバルトーク弦楽四重奏曲第1番第4番第6番[1])。この演奏会が刺激となったらしく、帰国後、すぐに弦楽四重奏曲の作曲に着手した。第2楽章まで作り終えた後、オラトリオ「森の歌」作曲のため一旦中断したが、1949年12月27日に全曲を完成している。曲は画家、舞台デザイナーのピョートル・ヴィリアムスロシア語版(1902-1947)の思い出に捧げられた。

初演

作曲後、ショスタコーヴィチは友人らに意見を求めたが、演奏すべきではない、発表しても成功しないだろうという否定的な反応ばかりであった。ベートーヴェン弦楽四重奏団英語版の第1ヴァイオリン奏者であったドミトリー・ツィガーノフロシア語版も意見を求められた一人であったが、ショスタコーヴィチに対し作品の発表について結論を下す前にとにかく稽古に入ろうと提案したという。ベートーヴェン弦楽四重奏団は1950年2月10日より練習を開始し、同年5月15日、芸術問題委員会の音楽部門部長、ショスタコーヴィチ夫妻、少数の作曲家を前に試演を行ったが、結局、この試演の結果、作品の発表を控えるという結論に達したらしい[2]

一般向けの初演はスターリンが亡くなった後の1953年12月3日に、ベートーヴェン弦楽四重奏団によってモスクワで行われた。

曲の構成

全4楽章、演奏時間は約22分。

脚注

  1. ^ のちに発表した旅行談で、第4番は自分の好みではないが、第6番には心酔したと述べている。
  2. ^ この後、一般向け初演が行われる以前に、作曲者が二台のピアノのために編曲した版が作曲者の誕生パーティーで演奏され、文化省からの正式な委託及び委託料を確保する目的でボロディン弦楽四重奏団が文化省の役人を前に演奏することがあったという(ヴァレンチン・ベルリンスキーの回想)。

参考文献


ドミートリイ・ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲
第1番 - 第2番 - 第3番 - 第4番 - 第5番 - 第6番 - 第7番 - 第8番 - 第9番 - 第10番 - 第11番 - 第12番 - 第13番 - 第14番 - 第15番



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