延命寺 (会津若松市)とは? わかりやすく解説

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延命寺 (会津若松市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/25 23:46 UTC 版)

延命寺

延命寺地蔵堂(重要文化財
所在地 福島県会津若松市河東町倉橋字藤倉160番地の2
位置 北緯37度32分01秒 東経139度55分54秒 / 北緯37.53361度 東経139.93167度 / 37.53361; 139.93167座標: 北緯37度32分01秒 東経139度55分54秒 / 北緯37.53361度 東経139.93167度 / 37.53361; 139.93167
山号 伽羅陀山
宗派 真言宗豊山派
本尊 大日如来
創建年 伝・ 大同2年(807年
開基 伝・徳一
中興年 延久元年(1069年
中興 承恵
正式名 伽羅陀山地蔵院延命寺
文化財 延命寺地蔵堂(国の重要文化財)
法人番号 3380005008378
延命寺
延命寺 (福島県)
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延命寺(えんめいじ)は、福島県会津若松市にある真言宗豊山派寺院。山号は伽羅陀山、迦羅陀山。境内にある延命寺地蔵堂(えんめいじじぞうどう)は、国の重要文化財で、藤倉二階堂(ふじくらにかいどう)ともよばれる。

歴史

大同2年(807年)に徳一によって慧日寺の塔頭寺として建立されたと伝えられる。その後、延久元年(1069年)に承恵によって中興されたが、慧日寺の隆盛、衰退とともにそれを繰り返した。

天文年間(1532年- 1554年)に賢長によって修補されたが、寛文年間(1661年- 1672年)に本堂が焼失し、再建されるも戊辰戦争で新政府軍によって村ごと焼き払われた。この兵火によって地蔵堂以外の本堂、客殿、庫裏等の建造物は焼失したが、本尊と数体の仏像、過去帳は持ち出され、焼失をまぬがれた。平成3年(1991年)、本堂、庫裏、鐘楼が再建された。

延命寺地蔵堂

延命寺境内にあり、室町時代中期の建立とされる。地蔵堂は、桁行3間、梁間3間、屋根は本瓦葺、一重裳階(もこし)付きで寄棟造の禅宗様建築である。屋根が重層になっているため、俗に二階堂とよばれる。明治36年(1903年)4月15日、旧古社寺保存法によって特別保護建造物(後の国宝保存法による旧国宝)に指定され、現在は国の重要文化財に指定されている。

明治期の指定時は茅葺屋根であったが、大正2年(1913年)の解体修理の際に本瓦葺に葺き替えられた。

参考文献

  • 『福島県の地名 日本歴史地名大系第7巻』1993年、平凡社
  • 「新編会津風土記巻之八十七」『新編会津風土記 第4巻』2002年、 歴史春秋出版 

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