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延じょう

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/09 23:46 UTC 版)

えんじょう/えんちん
貞観4年 - 延長7年12月13日
862年 - 930年1月15日
宗派 真言宗三論宗
寺院 醍醐寺東大寺
聖宝
弟子 法蔵[1]
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(えんじょう/えんちん、貞観4年(862年) - 延長7年12月13日930年1月15日))は平安時代の僧。醍醐寺2世座主[2]。俗姓は長統氏[3]

経歴

東大寺三論を学び、後に醍醐寺聖宝から三密を学を学んだ。聖宝は彼の法器に感嘆したという[4][3]

その後、宇多上皇から密教灌頂を受けた。初めて聖宝に従い上皇の宮に入った際、上皇はその才をめずらしく思い、僧綱僧位を授けようとした。しかし、延敒は「経三会で一綱位を昇るのが国の憲章である」からと、固辞した[4]

延喜9年(909年)、師・聖宝が亡くなり、延敒は遺言により醍醐寺と貞願寺を託された[5]

延喜11年(911年)、維摩会講師を務める。この時、五獅子の如意[6]が初めて使われた[3][7]

延長7年12月13日930年1月15日)、入滅。68歳[3]。『元亨釈書』は延長6年12月13日(929年1月26日)卒、73歳とする。

僧歴

主に『五十音引僧綱補任 僧歴綜覧』による

  • 延喜10年(910年)10月22日:講師宣旨
  • 延喜11年(911年):維摩会講師[7]
  • 延喜18年(918年)2月24日:権律師
  • 延長2年(924年)2月30日:東大寺別当[8]
  • 延長3年(925年)7月27日:醍醐寺座主[8]。8月9日:法務[8]
  • 延長5年(927年):東寺別当
  • 延長6年(928年)閏8月28日:権少僧都
  • 延長7年(929年)12月13日:入滅

伝記

出典

  1. ^ 『元亨釈書』「法蔵」
  2. ^ 藤井雅子「草創期醍醐寺の発展における聖宝の影響」, 醍醐寺
  3. ^ a b c d 『僧綱補任』
  4. ^ a b 『元亨釈書』
  5. ^ 藤井雅子「理源大師聖宝と醍醐寺」, 醍醐寺
  6. ^ 参考:『五獅子の如意』 - コトバンク
  7. ^ a b 延敒』 - コトバンク
  8. ^ a b c 貞信公記

参考文献

関連項目

  • 観賢 - 醍醐寺初代座主



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