広部周助とは? わかりやすく解説

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広部周助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/05 14:44 UTC 版)

広部 周助廣部 周助[1][2][3]、ひろべ しゅうすけ、1875年明治8年)5月11日[3] - 1907年(明治40年)8月1日[2])は、日本経済学者京都帝国大学法科大学助教授[2][4]

人物

千葉県君津郡富岡村上根岸の人[3]千葉中学第一高等学校を経て[4]1900年東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[1]農商務省に入り、工場法案の調査を嘱託される[3]。かたわら専修学校などの講師をしていたが、1902年、京都帝国大学法科大学助教授となる[4]1905年、政治経済学研究のための三国に留学を命ぜられる[3]ミュンヘン大学に入る[2]。統計調査に従事する[4]

1907年8月1日、病を得てミュンヘンで亡くなる[4]。葬儀が9月17日洛東智積院で行われ、井上学長と学生清瀬とが弔詞を読む[4]。広部について同僚友人の神戸正雄は、「法学士廣部周助君小傳」で「経済学は其の専攻する所にして就中統計学、工業経済論に於て造詣最深い」ことなどを記している[4]

脚注

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  1. ^ a b 『東京帝国大学一覧 明治33-34年』第二十章 学士及卒業生姓名 法学士 政治学科511 - 512頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月17日閲覧。
  2. ^ a b c d 『国民過去帳 明治之巻』1037 - 1038頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月17日閲覧。
  3. ^ a b c d e 『千葉県君津郡誌 下巻』477頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月17日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 杉原四郎「文献紹介 経済学者の追悼文集」44 - 45頁、1997年、経済資料協議会。

参考文献

  • 『東京帝国大学一覧 明治33-34年』東京帝国大学、1886 - 1912年。
  • 千葉県君津郡教育会編『千葉県君津郡誌 下巻』君津郡教育会、1927年。
  • 大植四郎編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年。



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