常照寺_(香取市)とは? わかりやすく解説

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常照寺 (香取市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/16 23:46 UTC 版)

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常照寺
常照寺
所在地 千葉県香取市佐原イ1051
位置 北緯35度53分23.2秒
東経140度29分27.3秒
座標: 北緯35度53分23.2秒 東経140度29分27.3秒
宗旨 臨済宗
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 聖観世音菩薩
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常照寺(じょうしょうじ)は千葉県香取市佐原にある寺院

概要

常照寺は佐原字天神下にある臨済宗妙心寺派の寺院で、本尊は聖観世音菩薩、香取市与倉の大龍寺の末寺である。戦国時代に与倉村遠崎に創建されたと伝えられる。明和年中に一燈禅師により佐原村に開山[1]

螟蛉(めいれい)塾

常照寺下の井戸。塾生であった新村出は井戸の水を風呂まで運び上げた。

本寺で幕末から1887年(明治20年頃)まで、朱子学の栗本義喬(大橋訥庵の門人並木栗水の弟子[2]、のちの第一高等学校 (旧制)の漢学教授、宇都宮中学校校長[3])が漢学塾「螟蛉(めいれい)塾」を開いていた[4]。塾では四書五経左伝史記小学十八史略論語孟子孝経などの素読や講義がなされていた[5]。ここで学んだ者には、菊池晋二(惺堂)(大橋訥庵孫、のちの東海銀行(東京)取締役)、益田祐之(のちの福岡県中学修猷館漢文教諭)、内野五郎三(集書家)、新村出(7才から10才までの間学ぶ、広辞苑編纂者)らがいる[6]。新村出は「諏訪の岡のふもとの鄙の寺子屋にただ漢籍の物学びせし」など佐原時代を回顧する歌を複数詠んでいる[7]

脚註

  1. ^ 常照寺縁起(境内石碑)
  2. ^ 『佐原市史』p387,佐原市役所,1966年
  3. ^ 『新村出全集第14巻』p255,筑摩書房,1972年
  4. ^ 『佐原市史』p387,佐原市役所,1966年
  5. ^ 『新村出全集第14巻』p240,256-257,459,筑摩書房,1972年
  6. ^ 『新村出全集第14巻』p239-240,255,筑摩書房,1972年
  7. ^ 常照寺縁起(境内石碑)、香取市岩ケ崎稲荷神社歌碑、『増訂佐原の文学碑』p9,佐原市教育委員会・佐原市文化協会,1995年



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