帯方郡治はどこにあったか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 15:51 UTC 版)
楽浪郡治の所在地が、現在の平壌の郊外、市街地とは大同江を挟んだ対岸にある楽浪土城(平壌市楽浪区域土城洞)にあったことに異論はない。土塁で囲まれた東西700m、南北600mの遺構に、当時のさまざまな遺物のほか、官印「楽浪太守章」の封泥(封印の跡)までもが出土し、考古学的に明らかにされた状態といえる。これに対して、帯方郡治の比定地については決め手がなく、現代の38度線を挟んで諸説ある。『魏志倭人伝』では、帯方郡が邪馬台国への旅の出発点であるだけに、かの邪馬台国論争からの関心も厚い。
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