帯方郡の分割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:58 UTC 版)
後漢末期の混乱期になると、遼東地方で台頭した公孫氏が楽浪郡にも勢力を伸ばし、その支配下に収めた。 3世紀初頭には公孫氏の2代目、公孫康が郡南部の荒地を分離して再開発し、帯方郡を設置している。ただし、名目上は楽浪郡から帯方郡を分置したといっても、実際には帯方郡のほうが大きく楽浪郡はそれに比べて主役の座を譲った格好になった。
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