川後森城とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 建物・施設 > 施設 > > 愛媛県の城 > 川後森城の意味・解説 

川後森城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/06/08 13:56 UTC 版)

河後森城
愛媛県
別名 河後森城 / 川後森城
城郭構造 山城
主な城主 渡辺氏戸田勝隆、桑折氏
廃城年 元和元年(1615年
位置 北緯33度13分16.90秒
東経132度42分37.94秒

河後森城(かごのもりじょう)は、愛媛県北宇和郡松野町松丸に存在した日本の城山城)。

概要

四万十川の支流・広見川と、さらにその支流の堀切川、鰯川に囲まれた独立丘陵上にある。山頂の本郭を中心に、二段・三段の平坦地が設けられ、馬蹄形に曲輪が設けられていた。

川原淵殿と呼ばれた渡辺氏が代々の居城としており、天文後期から天正年間にかけて機能した。天正8年(1580年)から翌年の間に、城主・渡辺教忠の近習だった芝源三郎が謀略により当城を奪っている。天正11年(1583年)の四国の役の後、戸田勝隆により芝源三郎は放逐された。その後、当地を治めた藤堂高虎は当城の天守を移築して板島城の月見櫓にしたという。慶長19年(1614年)に伊達秀宗宇和島藩を創立した際、付家老の桑折氏が当城に入っている。その後、元和元年(1615年)の一国一城令により廃城になったとされる。  

参考文献

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「川後森城」の関連用語

川後森城のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



川後森城のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの川後森城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS