川崎安之助とは? わかりやすく解説

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川崎安之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/10 05:10 UTC 版)

川崎安之助

川崎 安之助(かわさき やすのすけ、慶応3年4月21日[1]1867年5月24日) - 昭和5年(1930年9月21日[2])は、衆議院議員立憲政友会中正会憲政会立憲民政党)、大山崎村長

経歴

山城国乙訓郡大山崎村(現在の京都府大山崎町)出身。1888年明治21年)、城北青年会という政社を設立して幹事となり、後に山城自由倶楽部を設立した[3]1894年(明治27年)、山城自由倶楽部は自由党京都支部と合併し、自由党員となった[3]

これより先、大山崎村長に選ばれており、後には京都府町村会長を務めた[4]。1894年より京都府会議員に選ばれ、同参事会員、同副議長、同郡部会議長を歴任した[4]

1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に立憲政友会から出馬し当選。当選回数は合計5回を数えた。その間、政友会が第1次山本内閣と妥協したのを不満として、尾崎行雄らとともに離党[5]。中正会に移り、憲政会、立憲民政党の設立に加わった。

その他、京都府農会長、山崎銀行頭取、乙訓銀行取締役、京津電気軌道株式会社監査役を務めた[4]

親族

脚注

  1. ^ 漆崎多四郎『貴衆両院議員名鑑』、1919年、p.41。
  2. ^ 『官報』第1129号、昭和5年10月2日
  3. ^ a b 『京都府会議員列伝』P.24-25
  4. ^ a b c 『代議士詳覧』P.383
  5. ^ 『新代議士名鑑』P.306

参考文献

  • 佐野精一『京都府会議員列伝』金口木舌堂、1894年。 
  • 広幡明男『大正十三年五月当選 代議士詳覧』泰山堂、1924年。 
  • 加藤紫泉『新代議士名鑑』国民教育会、1924年。 



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