岩根山浪右エ門とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 岩根山浪右エ門の意味・解説 

岩根山浪右エ門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/02 17:01 UTC 版)

岩根山 浪右エ門(いわねやま なみえもん)は、江戸時代の大相撲の第32代大関

明和5年(1768年)冬場所(11月)、東大関として初土俵を踏み(ただし当場所の番付は現存せず、出場者名による推定番付)、2勝2敗4休の成績だった。翌明和6年(1769年春場所(4月)はいっぺんに東二段目5枚目まで陥落し、2勝5敗(7日目成績不明)の成績を残したのを最後に江戸相撲は2場所務めただけで脱退し、大坂相撲(同年7月)・京都相撲(同年8月)へと移り、上取に名を出した[1]

主な成績(江戸)

  • 通算成績:4勝7敗4休
  • 大関成績:2勝2敗4休


岩根山 浪右エ門
春場所 冬場所
1768年 x 東大関
2–2–4[2] 
1769年 東幕下5枚目
2–5[3][4] 
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  • この成績表でテンプレートの仕様上「幕下」となっている部分は、番付表の上から二段目であるため、「二段目」と呼ぶ方が正確である。当時は段ごとに力士の地位を待遇差で区別する発想がまだ確立しておらず、二段目以下でも番付表で「前頭」(「同」表記でない)と書かれている部分までは「幕内格」と見るべきだという説がある。

脚注

  1. ^ 「相撲」編集部編 編『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年。
  2. ^ 当場所の番付は現存せず。勝負付の順序から大関と推定。
  3. ^ 7日目の成績不明。
  4. ^ 江戸相撲から脱退、大坂相撲へと移る。

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  岩根山浪右エ門のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「岩根山浪右エ門」の関連用語

岩根山浪右エ門のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



岩根山浪右エ門のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの岩根山浪右エ門 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS