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岩村一木

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 02:44 UTC 版)

岩村一木

岩村 一木(いわむら ひとき、1894年明治27年)10月19日[1] - 1968年昭和43年)12月16日[1][2])は、大正から昭和期の実業家政治家華族貴族院男爵議員

経歴

東京市小石川区、現在の東京都文京区千石2丁目35番地[3]で、貴族院勅選議員・岩村通俊の八男として生まれる[1][3][4]1915年(大正4年)長兄岩村八作の養子となり[3]、その死去に伴い1924年(大正13年)9月1日、男爵を襲爵した[1][4][5]

京北中学校を経て[3]1917年(大正6年)東京農業大学高等科を卒業[2][3][4]。以後、臨時産業合理局過燐酸肥料改善委員会幹事、人造肥料連合会理事、燐酸肥料工業組合常務理事、日本藁工品配給監査役、肥料配給公団総裁、農林水産奨励会副会長などを務めた[1][2][3][4]

1932年(昭和7年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[6][7]公正会に所属して活動し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで2期在任した[2]。その他、内閣委員、大東亜省委員、肥料審議会委員などを務めた[2]

親族

  • 妻:芳子(三宅猶之丞二女)[1]
  • 長男:和俊[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 上巻』221-223頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』64頁。
  3. ^ a b c d e f 『高知県人名事典 新版』94頁。
  4. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 上』イ277頁。
  5. ^ 『官報』第3610号、大正13年9月3日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、41頁。
  7. ^ 『官報』第1664号、昭和7年7月18日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所編、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
  • 『高知県人名事典 新版』高知新聞社、1999年。


日本の爵位
先代
岩村八作
男爵
岩村(通俊)家第3代
1924年 - 1947年
次代
華族制度廃止



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