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岩尾峠

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 18:02 UTC 版)

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岩尾峠
岩尾峠
所在地 日本
滋賀県甲賀市三重県伊賀市
座標
北緯34度53分3.926秒 東経136度08分8.873秒 / 北緯34.88442389度 東経136.13579806度 / 34.88442389; 136.13579806座標: 北緯34度53分3.926秒 東経136度08分8.873秒 / 北緯34.88442389度 東経136.13579806度 / 34.88442389; 136.13579806
標高 290 m
山系 鈴鹿山脈
プロジェクト 地形
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岩尾峠(いわおとうげ)は、滋賀県甲賀市甲南町杉谷三重県伊賀市槇山を結ぶ標高は290m。

1336年建武5年)3月、北朝の小佐治基氏・国氏等と、信楽側から来た南朝の軍との戦場となった。

この峠は近くの息障寺への信仰とかかわり、近江伊賀を分けるのではなく地域のつながりを強めていた。

岩尾山息障寺

本堂

縁起によると最澄延暦寺の建立のため、岩尾山に材木を求めたところ、山の池に大蛇が棲みつき杣人の通行を妨げ、最澄が禁竜の法を唱えると大蛇は去り、木を刈り出すことができたと言われている。その恩に報いるため、霊岳に伽藍を建立し、池原延暦寺と称することになったと伝えられ、比叡山試みの寺とも言われている。

楼門近くの曼荼羅岩をはじめ、いたるところに巨石があり、古代の磐坐(いわくら)信仰の名残をとどめている。山岳宗教の聖地として栄え、また山伏忍者の修練場であったと伝わる[1]。岩尾山に屏風状の巨岩に不動明王が彫刻されてあることから、息障寺は「岩尾不動」や「槇山不動」と呼ばれ、近江・伊賀にわたって広く信仰を集めた。

1385年至徳2年)と近くに刻まれている磨崖地蔵菩薩坐像(市指定文化財)、作風から室町時代初期と考えられる磨崖不動明王立像(市指定文化財)がある他、山中には多数の石像が配置されている。また、松尾芭蕉の句碑「行く春を淡海の人とをしみける 翁」がある。

近くの名所

  • 岩尾の一本杉 - 最澄が刺した箸が大きくなったと伝えられる。滋賀県指定の自然記念物[2]

注釈

  1. ^ 山伏の修練場”. 忍びの里伊賀甲賀忍者協議会. 2019年9月24日閲覧。
  2. ^ 岩尾の一本杉/詳細:こころに残る滋賀の風景”. 滋賀県. 2019年10月31日閲覧。

参考文献

  • 木村至宏『近江の峠道ーその歴史と文化ー』サンライズ出版、2007年、60-63頁

関連項目




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