山響とは? わかりやすく解説

山響

(山響親方 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/02 08:59 UTC 版)

山響(やまひびき)は、日本相撲協会年寄名跡のひとつ。初代・山響が四股名として名乗っていたもので、その由来は定かではない。

1883年2月に横浜巡業から脱走した後渡米してプロレスラープロボクサーとなり、帰国後プロモーターとして、1887年6月に、日本で初めてプロレス・ボクシングの興行を『欧米大相撲』の名称で行った戸田川庄五郎(本名、浜田庄吉。リングネーム、コラキチ・ハマダ)が、山響部屋の所属だったとされる(時期的には5代目の時代)が、それ以外にはかつての山響部屋の存在については確認されていない[1]

2015年11月に20代目が北の湖部屋を継承する形で山響部屋を発足させた。

山響の代々

  • 代目の太字は、部屋持ち親方。
代目 引退時しこ名 最高位 所属部屋 現役時の襲名期間 備考
初代 山響傅内 --- ---
2代 鳴潮鷹五郎 十5 --- 1813年1月-1828年11月(死去)
3代 文字ヶ関七之助 下1 東関-佐渡ヶ嶽部屋 1834年1月-1844年10月(死去)
4代 ? --- --- 1862年3月-1879年6月(死去)
5代 藤縄團次 十9 東関部屋 1882年1月-1900年9月(死去)
6代 嶽ノ越亀吉 十1 伊勢ノ海部屋 1904年1月-1913年4月(死去)
7代 碇潟夘三郎 前1 草風(京都)-出羽海部屋 1913年5月-1922年5月 借株
9代佐ノ山に名跡変更
8代 釋迦ヶ嶽庄太郎 前3 山科-出羽海部屋 1922年5月-1961年1月(停年(定年)退職)
9代 信夫山治貞 関脇 小野川-陣幕-小野川部屋 1961年1月-1965年9月(廃業)
10代 房錦勝比古 関脇 若松-西岩-若松部屋 1967年2月-1979年8月 10代若松に名跡変更
11代 大鷲平 前3 若松部屋 1979年9月-1980年9月(廃業) 借株
12代 黒姫山秀男 関脇 立浪部屋 1982年10月-1983年5月 借株
14代出来山に名跡変更
13代 大飛進 前2 大山部屋 1983年5月-1986年4月 借株
14代大山に名跡変更
14代 大剛健嗣 前11 花籠部屋 1986年6月-1988年5月 借株
18代北陣に名跡変更
15代 朝潮太郎 (4代) 大関 高砂部屋 1989年3月-1990年3月 11代若松に名跡変更
16代 前乃臻康夫 小結 高田川部屋 1990年3月-1997年1月(解雇) 借株
17代 鬼雷砲良蔵 前4 高田川部屋 1997年11月-1999年3月(退職) 借株
18代 豊ノ海真二 前1 藤島-二子山部屋 1999年3月-2002年6月(退職) 借株
19代 大竜忠博 十4 大鵬部屋 2005年4月-2006年12月 借株
12代二子山に名跡変更
20代 巌雄謙治 前1 北の湖部屋 2006年12月-

脚注

  1. ^ 明治20年、日本で初のプロレス興行を行った男は“日本人ボクサー第1号”だった - 日刊SPA! 2015年9月11日。記事は小島貞二の研究をもとに記述(出典はリンク先に詳細あり)。

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