山県市立高富小学校とは? わかりやすく解説

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山県市立高富小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/07 01:08 UTC 版)

山県市立高富小学校
北緯35度29分41秒 東経136度47分18秒 / 北緯35.49481度 東経136.78839度 / 35.49481; 136.78839座標: 北緯35度29分41秒 東経136度47分18秒 / 北緯35.49481度 東経136.78839度 / 35.49481; 136.78839
国公私立の別 公立学校
設置者 山県市
設立年月日 1873年
共学・別学 男女共学
学校コード B121221500016
所在地 501-2105
岐阜県山県市高富1079
外部リンク 新公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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山県市立高富小学校(やまがたしりつ たかとみしょうがっこう)は、岐阜県山県市にある公立小学校

沿革

  • 1873年(明治6年) - 教倫義校が開校。
  • 1874年(明治7年) - 高富学校に改称する。
  • 1886年(明治19年) - 高富尋常小学校に改称する。高木村の児童が転入する。
  • 1894年(明治27年) - 高木村の児童が深瀬尋常小学校(現・山県市立富岡小学校)へ転出する。
  • 1910年(明治43年) - 高富尋常高等小学校に改称する。
  • 1941年(昭和16年) - 高富国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年) - 高富町立高富小学校に改称する。
  • 1967年(昭和42年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。
  • 1973年(昭和48年) - 校舎を増築する。
  • 1979年(昭和54年) - 校舎を増築する。
  • 2003年(平成15年) - 高富町伊自良村美山町が合併し、山県市が発足。同時に山県市立高富小学校に改称する。
  • 2004年(平成16年) 3月 新校舎が完成する

通学区域[1]

  • 高富
  • 佐賀

進学先中学校

その他

  • 高富を領地としていた高富藩(本庄家1万石)は、江戸時代後期に江戸藩邸内に藩校として「教倫学校」を設けていた。高富藩は江戸時代には定府であり、藩士の多くは江戸に居住していたが、明治時代に藩が明治政府の地方行政機関(府藩県三治制)となるとともに名実ともに高富に本拠地を移すこととなった。教倫学校も高富に移転し、農家や商家の子弟にも入学を許可した。藩立学校としての教倫学校は明治4年(1871年)の廃藩とともに終焉を迎える。教倫義校が開校した際、旧高富藩の陣屋の建物の一部を使用した。

参考文献

  • 高富町史 通史編 P673-687 (1977年発行)

関連項目

脚注

1.高富小学校新校舎完成山県市広報やまがた2004年5月号

外部リンク


  1. ^ 「就学指定校」及び「就学指定校の変更」について(山県市教育委員会)



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