山県市立富岡小学校とは? わかりやすく解説

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山県市立富岡小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/03 09:12 UTC 版)

山県市立富岡小学校
北緯35度30分35秒 東経136度47分19秒 / 北緯35.50982度 東経136.7885度 / 35.50982; 136.7885座標: 北緯35度30分35秒 東経136度47分19秒 / 北緯35.50982度 東経136.7885度 / 35.50982; 136.7885
国公私立の別 公立学校
設置者 山県市
共学・別学 男女共学
学校コード B121221500025
所在地 501-2104
岐阜県山県市東深瀬30
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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山県市立富岡小学校(やまがたしりつ とみおかしょうがっこう)は、岐阜県山県市にある公立の小学校

沿革

  • 1873年(明治6年) - 育文舎が開校。西深瀬村東深瀬村の児童が通学する。
  • 1875年(明治8年) - 高深学校に改称する。西深瀬村、東深瀬村、高木村の児童が通学する。
  • 1886年(明治19年) - 高深学校が廃校となる。西深瀬村、東深瀬村の児童は伊佐美簡易科小学校(現・山県市立桜尾小学校)、高木村の児童は高富尋常小学校(現・山県市立高富小学校)への通学となる。
  • 1893年(明治27年) - 深瀬尋常小学校が開校。西深瀬村、東深瀬村、高木村の児童が通学する。
  • 1897年(明治30年)4月1日 - 西深瀬村、東深瀬村、高木村が合併し、富岡村が発足。
  • 1898年(明治31年) - 富岡尋常小学校に改称する。
  • 1910年(明治43年) - 富岡尋常高等小学校に改称する。
  • 1941年(昭和16年) - 富岡国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年) - 富岡村立富岡小学校に改称する。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 高富町、富岡村、梅原村桜尾村大桑村が合併し、改めて高富町が発足。同時に高富町立富岡小学校に改称する。
  • 1964年(昭和39年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。
  • 2003年(平成15年) - 高富町、伊自良村美山町が合併し、山県市が発足。同時に山県市立富岡小学校に改称する。

通学区域[1]

  • 西深瀬
  • 東深瀬
  • 高木

進学先中学校

主な出身者

参考文献

  • 高富町史 通史編 P688-696 (1977年発行)

関連項目

脚注

  1. ^ 「就学指定校」及び「就学指定校の変更」について(山県市教育委員会)

外部リンク





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