山田郷土史
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山田郷土史「山田のあゆみ」【山田自治会郷土史編纂委員会 2001年】には「倭姫命が天照大神を祀るのに相応しい場所を探す際に、上之山と呼ばれるところに一年ほど遷座し、その際に千里丘陵を「山田ヶ原」と呼んだのが「山田」という地名の起源とされる。」とある。吉志部神社の由緒書きには『吉志部神社は社伝によれば崇神天皇の御代に大和の瑞籬(みずがき)より神を奉遷してこの地に祀ったのが創祀といわれています」とあり、文章の前半の倭姫が天照大神を祀る場所を探し求めた結果と吉志部神社の社伝が一致する。後半の「上之山と呼ばれるところに一年ほど遷座し、その際に千里丘陵を「山田ヶ原」と呼んだのが「山田」という地名の起源とされる。」は、天照大神のご神託により豊受大神を仮宮を建て1年余り鎮座したという大神木神社の社伝と一致する。山田郷土史の由来は、不確かながらも皇大神社(内宮)と豊受大神宮(外宮)がこの千里丘陵の地に存在した事を証明している。
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