山田城 (大和国)とは? わかりやすく解説

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山田城 (大和国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/09 09:24 UTC 版)

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山田城
奈良県
別名 岩掛城
城郭構造 山城
築城主 山田氏
築城年 不明
主な城主 山田氏
廃城年 不明
遺構 堀切、土塁
指定文化財 未指定
再建造物 なし
位置 北緯34度37分37.9秒 東経135度56分07.6秒 / 北緯34.627194度 東経135.935444度 / 34.627194; 135.935444
地図
山田城
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山田城(やまだじょう)は、奈良県天理市にあった中世日本の城山城)。別名岩掛城(いわがけじょう)。

概要

天理市山田町の尾根先端の要衝、標高550mに位置する。尾根先の曲輪は四角形で、西方に深いがある。単郭の館城から尾根続きに拡張しようとし、未完に終わった。

付近一帯を支配する在地領主・山田氏が当城に拠った。一乗院方の国民であった山田氏は15世紀後半には古市氏に属し、応仁の乱でも勢力を広げている。筒井氏勢力下の福住氏と対立しながら、城の北方に進出して所領を広げた。永禄9年(1566年)に山田氏が松永久秀勢から当城を奪還した記録が残る。

参考文献

関連項目




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