山本鼎_(軍医)とは? わかりやすく解説

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山本鼎 (軍医)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/26 16:43 UTC 版)

山本 鼎(やまもと かなえ[1]1852年嘉永5年〉11月26日 [2] [注釈 1] - 没年不詳)は、日本軍医(陸軍)[2]。広島予備病院分院長、第四軍兵站軍医部長[2][4]

経歴

越中国高岡(現富山県高岡市)に医者の山本道斎の長男として生まれる[1][4]。幼名は道太郎[3]。金沢藩立医学校で学んだ後、1870年明治3年) 大学東校へ入学[2]佐藤尚中司馬凌海緒方惟準らから教えを受ける[2]。1875年(明治8年)緒方私塾塾頭教授に就任[1]1877年(明治10年)医術開業試験に合格し[2]同年の西南戦争では新撰旅団所属の陸軍軍医試補に就任する[1][4]平壌の戦い (日清戦争)では元山支隊の医長を務め、鴨緑江作戦以後は第3師団軍医部員として活動する[1][2]。また、義和団事件においては広島予備病院分院長として活動する[2]日露戦争では第四軍兵站軍医部長を務める[2]。後備陸軍二等軍医正に就任した後、1911年(明治44年)退役[5]

注釈

出典

  1. ^ a b c d e 日本現今人名辞典 訂正3版 1903, やノ52頁.
  2. ^ a b c d e f g h i 現代人名辞典 1912, ヤ53頁.
  3. ^ a b 征清武功鑑 : 一名・金鵄勲章伝 2巻 1896, pp.116-118.
  4. ^ a b c 大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書 1913, 76頁.
  5. ^ 『官報』第8339号、明治44年4月13日。

参考文献

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