山崎川を扱った史料
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 02:42 UTC 版)
江戸時代の山崎川については、文政5年(1822年)に刊行された地誌『郡村徇行記』に以下の記述が見られる。 山崎川 上ニテ川名川ト云、是ハ末森村猫洞七ツ釜大藪池ノ水落来レリ、下ハ紀左衛門新田道徳新田ノ間ニテ海ヘ落ツ。山崎橋長十二間幅三間アリ、大道奉行修造ヲ掌ル。享保十三戊申年、天白川ヲ此山崎川ヘ一旦瀬違有之シカ、十四年ノ間ニ天白川十七度決壊シ、処々砂入ナリシニヨリ、元文六酉年天白川元川ヘモトリ山崎川如今ナレリ。
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