屋良朝苗と白紙答案事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 02:21 UTC 版)
「鎌倉芳太郎」の記事における「屋良朝苗と白紙答案事件」の解説
戦後、琉球政府行政主席や沖縄県知事を務めて本土復帰の難局に処した屋良朝苗は、沖縄県師範学校での鎌倉の教え子である。あるとき、鎌倉は図画の実技試験に併せて筆記試験も出題したが、実技試験だけだと思っていた屋良は筆記試験を白紙のまま提出した。ところがすでに22歳になっていた屋良は生徒のリーダー的存在だったので、他の生徒も屋良を真似て白紙答案を提出したことから問題となり、鎌倉は強く謝罪を求め、結局屋良は謝罪した。鎌倉は屋良を高く評価していたが、増長しては将来のためにならないと考え、強く出たという。屋良は、謝罪した際に鎌倉から激励を受けたと後に回想している。
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