小野の成立と中世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 09:12 UTC 版)
現在の小野の区域は平安末期頃には島津荘(庄)寄郡で日置南郷の一部であった。 文治3年に日置南郷の一部であった現在の小野の区域が平重澄に寄進され、翌年に伊作庄に含まれるようになった。 小野という地名は嘉暦2年(鎌倉時代)の「伊作荘預所見参料請取状」に「伊作・日置・内小野・古垣両名見参料」として見えるのが初見であるとされ、薩摩国伊作荘のうちの名田名であった。
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