小滝辰雄
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小滝 辰雄(おだき ときお、1892年〈明治25年〉12月9日[1] - 1964年〈昭和39年〉5月27日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。顕八(あきわ)に改名[2]。
経歴
長野県埴科郡南条村(現坂城町)出身[3][注釈 1]。1914年(大正3年)早稲田大学政治経済科卒。1916年(大正5年)同大学英法科、1915年(大正4年)明治大学英法科卒[2]。下谷区議、東京市会議員となる[2]。
1924年(大正13年)第15回衆議院議員総選挙において東京8区から憲政会公認で立候補したが落選[4]。1928年(昭和3年)第16回衆議院議員総選挙において東京2区から立憲民政党公認で立候補して当選した[5]。衆議院議員を1期務めた。1930年(昭和5年)第17回衆議院議員総選挙で落選[6]。1932年(昭和7年)第18回衆議院議員総選挙にも立候補したが落選した[7]。1964年死去。
脚注
注釈
- ^ 「小滝顕八」『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』112頁では東京都。
出典
参考文献
- 掛川喜遊・村田直治『信濃風物記』名古屋新聞社出版部、1928年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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