小幡義実とは? わかりやすく解説

小幡義実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/20 09:34 UTC 版)

 
小幡義実
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 天文20年9月1日1551年9月30日
別名 四郎
墓所 山口県長門市深川湯本 大寧寺
主君 大内義隆
氏族 小幡氏
父母 父:小幡山城入道?

小幡 義実(おばた よしざね)は、戦国時代武将大内氏の家臣。

略歴

安芸国佐西郡石内を根拠とした国人・安芸小幡氏の一族。詳細な系譜は不明だが、当時の石内領主であった小幡山城入道の子息と推測される。

大内氏に小姓として仕えた。天文20年(1551年)の大寧寺の変では、大内義隆に従い山口から大寧寺に向かい、そこで、冷泉隆豊黒川隆像岡部隆景、大田隆通、岡屋隆秀、祢宜右延、天野隆良らと共に辞世の句を読んだ。大寧寺が落ちて義隆が自害する直前に義隆より後事を託され、義隆の嫡子・義尊を警固して脱出するが、目的を果たせず陶隆房軍によって捕縛され、斬首された。

辞世の歌は「宝剣を呑却して名弓を放下す 只斯の景のみ有り一陣の清風」。

一族の娘が後に毛利元就の後妻となって中の丸と呼ばれ、賢夫人として毛利家中を取り仕切り、夫を支えた。





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