岡部隆景とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 岡部隆景の意味・解説 

岡部隆景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 23:14 UTC 版)

 
岡部隆景
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 天文20年9月1日1551年9月30日
改名 又四郎(幼名)→隆景
別名 右衛門大夫[1][2][3]
戒名 忠翁道孝禅定門
官位 従五位下[4]右衛門尉
主君 大内義隆
氏族 岡部氏
父母 父:岡部興景
景啓、景胤
テンプレートを表示

岡部 隆景(おかべ たかかげ)は、戦国時代武将大内氏の家臣。祖父は岡部武景、父は岡部興景。

略歴

大内氏の譜代家臣である岡部興景(讃岐守)の嫡男として生まれる。

天文15年(1546年4月5日、父・興景より家督を相続し、長門国美祢郡岩永を領した。天文19年(1550年7月21日従五位下に叙位され[4]、このため右衛門大夫と称した[1][2][3]

大内家の命令で父の岡部興景と共に岡部家の本名である小野を名乗っていた。

天文20年(1551年)の大寧寺の変では主君・大内義隆に最後まで従い奮戦し戦死した。

その直前、以下の和歌を遺している。

露とぞ消えるけふの名残にはただ吹き送る松風の音

(現代語訳)大内家の負けは決まった。もはや自分の命は儚くも消えていくしかないのだろう。浜辺にはもう日が暮れるというのに松風の音だけが聞こえていた。

関連作品

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b 『言延覚書』
  2. ^ a b 『大内義隆記』
  3. ^ a b 『大内義隆記』異本
  4. ^ a b 『歴名土代』

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「岡部隆景」の関連用語

岡部隆景のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



岡部隆景のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの岡部隆景 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS