小崎千代とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 小崎千代の意味・解説 

小崎千代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/15 14:03 UTC 版)

左から宮川経輝・次子夫妻、海老名弾正みや夫妻、小崎弘道・千代夫妻(1934年秋)

小崎 千代(こさき ちよ、1863年8月8日文久3年6月24日) - 1939年昭和14年)5月14日)は、日本基督教婦人矯風会会頭。小崎弘道の妻で、小崎道雄の母親である。

江戸小石川村にあった徳川幕府の直参の岩村家の長女として生まれる。明治維新後、幕臣たちと静岡に移住する。1871年明治4年)に上京する。1876年(明治9年)にメソジスト派の宣教師ジュリアス・ソーパーより洗礼を受ける。1883年(明治26年)、海岸女学校(後の青山女学院)を卒業し、小崎弘道と結婚する。道雄、安子(岩村信二の母)が生まれる。1886年(明治19年)、矢嶋楫子の運動に賛同して婦人矯風会の設立に尽力し、役員になる。

1902年(明治35年)より小崎弘道が日本組合基督教会霊南坂教会牧師になると、牧師夫人として牧会に協力する。音楽と英語の教師も務めた。また、霊南坂教会附属幼稚園の開設と共に園長になる。

1921年大正10年)には矢嶋の後を受け継いで日本基督婦人矯風会の会頭に就任する。墓所は青山霊園(1ロ8-35)と多磨霊園

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小崎千代」の関連用語

小崎千代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小崎千代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小崎千代 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS