小島善作とは? わかりやすく解説

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小島善作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/05 10:19 UTC 版)

小島善作

小島 善作(おじま ぜんさく、1876年明治9年)1月2日[1][注 1] - 1937年昭和12年)1月20日[1][2])は、日本の篤農家政治家衆議院議員埼玉県北足立郡大砂土村長

経歴

埼玉県足立郡土呂村(のち北足立郡大砂土村大字土呂、現:さいたま市北区)で、大地主・小島宅十郎の息子として生まれる[1][注 2]1902年、大日本実業会農学科を卒業[2]

明治法律学校で学んだが、郷里の茶業の衰退を憂いて退学し、帰郷して製茶職人の修業を行う[1][3]。さらに特産地の宇治静岡に遊歴して技術を磨き、帰郷して私立製茶伝習所を設立して茶業の振興を図った[1][3]。その他、養鶏改良、米麦改良、甘藷栽培改良などにも尽力して、その普及を図り[3][4]、埼玉県農会・群馬県農会・栃木県河内郡農会の嘱託講師、地方森林会議員、埼玉県茶業組合連合会議長などを務めた[2]

政界では、大砂土村助役、同村長、埼玉県会議員、同参事会員などを務めた[1][2]1924年5月、第15回衆議院議員総選挙で埼玉県第一区から出馬して当選し、立憲政友会に所属して衆議院議員を一期務めた[2]

著作

  • 『茶業家須知』浩文堂、1898年。
  • 『現代之甘藷』小島善作、1922年。

脚注

注釈

  1. ^ 『埼玉壱百人』39頁では「1月21日」。
  2. ^ 人事興信所編『人事興信録』第7版、1925年、こ54頁では、小島和十郎の二男。

出典

  1. ^ a b c d e f 『埼玉人物事典』220頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』111頁。
  3. ^ a b c 『埼玉壱百人』39-41頁。
  4. ^ 『新代議士名鑑』64頁。

参考文献

  • 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 加藤紫泉『新代議士名鑑』国民教育会、1924年。
  • 岸上克己『埼玉壱百人』埼玉通信社ほか、1917年。



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