小墾田猪手とは? わかりやすく解説

小墾田猪手

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/29 06:30 UTC 版)

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小墾田猪手
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 不明
主君 大海人皇子
父母 父:曾我荒熊子
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小墾田 猪手(おはりた の いて[1])は、飛鳥時代の人物。はなし。672年壬申の乱で、都を脱出した大津皇子に同行した。

出自

猪手は、蘇我稲目の後裔とする[2]小墾田臣の一族とされる[3]。なお、猪手を蘇我稲目の孫にあたる荒熊子の子とする系図がある[4]

経歴

壬申の乱の勃発時、猪手は近江大津宮がある大津にいたらしい。大海人皇子が挙兵を決めたとき、その子・高市皇子と大津皇子は敵の本拠である大津を脱し、二手に分かれて父のあとを追った。このうち大津皇子の一行は25日深夜に伊勢国鈴鹿関に到達し、翌朝朝明郡の迹太川の辺で合流を果たした。小墾田猪手はこの一行の中にいた。ともに朝明郡に辿り着いたのは、大分恵尺難波三綱駒田忍人山辺安摩呂大分稚臣根金身漆部友背であった。この後の内戦で小墾田猪手が果たした活動については記録がない。

脚注

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  1. ^ 旧仮名遣いでの読みは「をはりたのゐて」
  2. ^ 新撰姓氏録』右京皇別上
  3. ^ 佐伯有清編『日本古代氏族事典』雄山閣出版、1994年
  4. ^ 中田憲信『皇胤志』(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会,1986年 による)




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