小倉から久留米に移転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 06:45 UTC 版)
「第12師団 (日本軍)」の記事における「小倉から久留米に移転」の解説
1925年(大正14年):宇垣軍縮で第18師団が廃止、その所在地だった久留米に移転した。12日第18師団廃止の際して第12師団は、騎兵連隊.砲兵連隊.工兵大隊等、 小倉師団と久留米師団の半々の兵員を抽出して編成し久留米師団色の存置に留意した。 第12師団の移転後には、小倉城内指令部跡には野戦重砲兵第2旅団を、北方の兵営群跡に野戦重砲兵第5連隊.野戦重砲兵第6連隊を設置。のち城内の歩兵第14連隊も北方に移転した。 その後の小倉は、関東大震災で大被害の東京砲兵工廠の移転を熱望。城東に大阪砲兵工廠に次ぐ総面積582,717m2(約176,000坪)の日本陸軍工廠を誘致した。
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